車夫・岸好治(岸好猛)のプロフィール

出生 1949年(昭和二四年)六月一二月
現住所 神奈川県中郡大磯町

車夫歴
数々の職業を径ながら全国を巡るうちに昭和五六年、小田原の福田寺住職と縁を持ち、真言宗寺院の
車夫となることを決意する。

1985年(昭和六〇年)
スペースシャトル事故で亡くなった鬼塚飛行士の冥福を祈り、彼の母を慰めるためアメリカに出発、ケープカナベラルで海に向かい手を合わせ、ハワイにて飛行士の母に供養のため用意した写経を届ける。
1987年(昭和六二年)

生涯のパートナーとして人力車を得る。
昭和天皇ご在位六〇年記念パレードで、行列の先頭で人力車を引いて奉仕する。
大磯より人力車を引いて真言宗の霊場の一つである高野山へ出発、全行程野宿にて豪雪の高野山へ
到着。 往復1500キロの旅を成し遂げる。
1988年(昭和六三年)
人力車を引いて大磯から弘法大師の霊場四国八十八ヶ所遍路に出発。
82日間、2500キロを踏破する。
四国に入り、この間、四国放送は週に一回、七週間にわたりドキュメント番組として放映する。
1989年(平成元年)
人力車を引いて米国横断を試みる。四月初旬出発。
言葉で尽くせない過酷な試練と戦いながら八月二日、無事国連本部に世界平和を祈った巻物を届ける。
巻物は国連本部に永久保存されている。
1990年(平成二年)
東寺真言宗、飯田山福田寺の本堂落慶式にあたり、住職の意向のもと近年地方寺院には稀な式を執行。
この頃より、日本列島のモーターリゼーションによる自然破壊に疑問を抱くようになり、人力車を引く意味を少しずつ自分のものに出来るようになる。
2004年(平成十六年)
突然に日本全国を巡礼しようと思い立ち、可能かどうかも半信半疑のうちに出発。(2月)
五十代半ばの自分にとって体力的に一抹の不安も無いわけでもありませんでした。しかし今を逃したら自分の一生に悔いを残してしまうという、積極的な自分が消極的な自分を上回っている状態にあるように、常に自分に課せながら出発。
同年九月六日、ついに岸好治、出家をし名前も好猛(コウミョウ)と改めました。
師の言葉に従い、同行二人を肌で感じた七ヶ月の結果です。
すなわち、今日六日 東寺御影堂で砂原事務長戒師のもと、東寺の皆様が出仕して下さり得度をしていただきました。
東寺の皆様の声援を背に、新たな気分で四国へと出発しました。
2005年3月成し遂げる。しばらく時を待って残りを巡ることにする。
2005年(平成十七年)
日本霊場八百八十八ヶ所巡礼の総仕上げの旅に出発。(七月)
日本一周を成し遂げてから四ヶ月、巡礼の報告をしながら地元のご寺院を巡らしていただきました。
最後に関東一円の巡礼に出発。
同年八月、全ての巡礼を終え成満。
2007年(平成十九年)
空海が仏教を学ぶために中国に渡った足跡をたどりたいと、京都市南区の東寺を出発する。(三月)
西安やチベット、中国の寺院や霊山などを巡り、130ヵ寺で納経し帰国。(5月下旬)
2008年(平成二十年)
大日如来の源流を訪ねに、インド・ネパールの聖地を巡る旅に出発(八月下旬)
真に密教の源流を辿る海外巡礼が、インド・ネパールで無魔成満し帰国(十一月下旬)
2009年(平成二十一年)
「僧侶としてもう1度巡拝したい」と、新たな修行へ。
東寺に燃え続ける「智火(ちか)」と托鉢許可証を授かり全国1500ヵ寺の巡礼に出立。(三月下旬)
2010年(平成二十二年)
五月三十日、四国八十八か所第88番大窪寺にて結願し、一年三ヶ月余りの日本全国1500ヵ寺の遍路行を無魔成満する。
この日より奈良を巡り京都へ向かう。
2010年(平成二十二年)
六月十六日、京都東寺に到着。
東寺にて報告法要を行っていただき、高野山、相国寺(金閣寺)へもお礼と結願報告をする。