岸好治の足跡

平成十六年 2004年 2月
 日 曜 日          修     行

2/06

(月) 第1番札所と定めた東京の東寺真言宗別格本山雲照寺をめざして、午後2時神奈川県大和講飯田岡支部御詠歌隊の唱える、東寺護国和讃を聴きながら福田寺を出発。
2/09 (月) 第1番雲照寺
朝7時、雲照寺住職と福田寺住職が迎える中、渋谷の坂道を喘ぎながらも力強く、
冷えきった空気をきって雲照寺門前に到着。雲照寺住職より本尊不動明王の御前にて第1番の納経をいただく。午後11時伊豆大島に向けて出航。
2/20 (金) 八丈島のローカル新聞「南海タイムス」に掲載されました。
新島、式根島、神津島等を巡る。
2月下旬
 ~
3月上旬
(金) 伊豆七島(八丈島他)を巡った後東京に戻り、芝増上寺を皮切りに浅草寺、帝釈天 、
深川不動等、主な寺院を済ませ千葉県へ入る。
成田山新勝寺、水戸光圀公ゆかりの寺々、伊能忠敬の菩提寺・観福寺で日本一周を誓う。佐原市を周り茨城県を北上。
平成十六年 2004年 3月
 日 曜 日          修     行
3/10頃 (火) 福島県いわき市。この頃米国移民第一号の「おけい」が会津出身であることを思い出し、かって米国八十八ヶ所の巡礼をした時、サクラメントの「おけい」の墓所に詣でたことから、会津若松の「おけい」の ゆかりある場所への巡礼を決意する。
福島市内の寺院を巡り、三月二十二日雪積もる磐梯山への登嶺を決行、地元の人々の驚きと声援を背に踏破する。(福島での様子はTUF福島で放送)
3/30頃 (火) 奥の細道の跡を辿りつつ、松島「瑞巌寺」を巡拝、平泉へ向かう。 
平成十六年 2004年 4月
 日 曜 日          修     行
4/02 (金) 平泉「中尊寺」を巡拝。遠野へ行こうか思案中。が、遠野へ向かう事にする。
嶺また嶺の先に辿り着いた寺は何とも言えぬ趣のある里寺。
4/07 (水) 花巻市郊外にテントを張る。不順な天候に往生するも、常の如し。先へ先へ。
(岩手日報が報道) 

4/14

(水) 青森県を巡り本州の北端に至る。百二十余ヵ寺の納経を携え、いざ北海道へ。 
4/19 (月) 北海道に入り数日、内浦湾に添い北上、長万部に至る。
暴風雨に見舞われ最悪の状況の中、眠れぬ一夜を過ごす。 
4/20 (火) 蛇田郡に入り、豊浦のトンネルが続く道を奇跡に近い状態で無事通過、蛇田町の亮昌寺に到着。
亮昌寺の笠谷住職は、福田寺の橋本住職の高野山時代にご縁のあった方だと知り、親しみを感じる。 
4/21 (水) 亮昌寺の御住職はじめ皆様の接待を受け、終日滞まる。
今回の巡礼で一日滞まるのは初めて。疲れを癒す。 
4/23 (金) 室蘭市より太平洋岸を東へ、(室蘭民放社の取材に応じる) 
4/25 (日) 苫小牧に至る。彼女である人力車もタイヤなど相当痛みが激しく、少し体制を整え直すつもり。 
4/26 (月) 苫小牧で修理するつもりでいたが、じっと留まっていられず、傷ついた彼女を引いて歩き始めていました。門別町へ向かうが、相変わらず天候悪く、雪が降ってきた。
悪い気象条件との戦いが続く。 
4/29 (木) 悪天候、特に強風に悩まされ遅々として進めず。
門別にて彼女のタイヤ交換をできたことが唯一の希みか。 
平成十六年 2004年 5月
 日 曜 日          修     行
5/03 (月) えりも岬手前、10Km。何もない、道路の寸断により予定がたてられない。
5/08 (土) 帯広に着く。釧路へと向かう予定。
ここまできたら北海道三十三ヶ所霊場の踏破を志す。

5/09

(日) 中川郡本別町に到着。
札所である密厳寺の住職や奥様から接待を受ける。温かいおもてなしに久々に巡礼の気分を味わったようだ。 
5/13 (木) 釧路市に入りくしろ駅手前、釧路川にかかる釧路大橋の下で一日雨をしのぐ。
本別からの三日間、熊に出会わなかったのがラッキー。
途中偶然に出会った牧場主が福田寺と目と鼻の先に住む人を戦友に持つことがわかり不思議な縁を感じた。明日は天候も回復するようだ。 
5/15 (土) 厚岸の無人駅の一角を借りて野宿、屋根の下で休めるのは有難い。
昨日のように平原のど真ん中で雨に打たれての一夜は絶え難い。
北海道新聞の取材を受ける。いざ根室へ 
5/18 (火) 根室半島から戻り厚床(あっとこ)で野宿。
いよいよ知床、網走が近づいた。 
5/25 (火) 紋別市に到着。やっと連絡が取れる状況になる。網走はきつかった。
彼女同様、自分の体もだいぶガタがきている。気力のみ、稚内まで200Km。 
5/27 (木) 紋別からオホーツク海沿岸を北上。途中、内部中頓別に入りホウショウジ参拝。
再び海岸線に出て浜頓別に至る。クッチャロ湖も雨にけむっている。 
5/29 (土) 最北端、宗谷岬に立つ・・・・・・・。 
5/31 (月) 午後三時、稚内から礼文島へ向かう船に乗船。 
平成十六年 2004年 6月
 日 曜 日          修     行
6/01 (火) 午後二時、利尻島へ到着。
北海道の天候もやっと落ち着いてきた。この景色を独りじめするのはもったいない。 
6/05 (土) 稚内から南下、2日で150Kmの信じられない早さで歩む。
旭川まで50Kmの地点に着いた。丁度明日は福田寺を出発して四ヶ月目の区切りの日、金峰寺に到着。金峰寺は高野山真言宗、資延管長の御自坊であり、北海道内巡礼の結願の証を拝受致しました。 

6/07

(月) 旭川を済ませ富良野へ向かう。何のために、こうまでして歩いているのか・・・。
いつものことだが。 
6/11 (金) 富良野から再び西へ戻り岩見沢に至る。彼女(人力車)は満身創痍の状態で一歩も動けない。手当をしながら、しかし進まねば。 
6/16 (水) 小樽に至る。
北海道巡礼もようやく先が見えて来た。
6/17 (木) 余市に至る。真言宗豊山派密厳寺にて接待を受ける。
彼女の足(タイヤ)も修理でき、久々に落ち着いて歩けそうだ。
温かい気持ちで受け入れてくれる人に会うと感謝感謝、ありがたい。
6/19 (土) 倶知安に到着、北海道3,000kmの巡礼もいよいよ終わりに近づいてきた。
相変わらず道路事情が悪く、遠回りせざるを得ない。寿都へ向かう。
6/22 (火) 長万部に戻ってきた、一路函館に向かう。
途中八雲町という東寺の紋と同じ地名の町があり親しみを感じる。
6/25 (金) 朝8:30 北海道霊場の結願である函館の高野寺で納経を済ませ、ここに長く厳しかった北海道一周の巡拝を終える。
しかし日本霊場八百八十八カ所巡礼のほんの一部、いざ前進! 
6/26 (土) 北海道と別れ、下北半島大間に至る。 
6/27 (日) 恐山のふもと大畑町で一休。
果たして恐山に登れるか、地元の人は無理だというが・・・・・
6/28 (月) 恐山に登り切る。やはり歴史ある霊場としての気を感じる。
平成十六年 2004年 7月
 日 曜 日          修     行
7/02 (金) 弘前に至る。すでに恐山の後、数カ寺を巡礼する。接待も有難い。
7/07 (水) 秋田放送、さきがけ新聞(本庄市)等の取材に応じる。
「ストップCO2」が反響のようだ。
大師信仰の出発点が東寺(京都)であることを心の隅におきながら・・・

7/08

(木) 芭蕉の奥の細道の最北端、みさき峠に至る。蚶満寺にも巡拝。
出羽三山に挑もうか。それには彼女の足の傷がひどすぎる。
7/09 (金) 迷いながらも羽黒山のふもとに来てしまった。傷の手当ても近くできそうだ。
7/10 (土) いざ 出羽三山へ!
出羽三山の一つ、羽黒山に巡拝。いい雰囲気である。
7/11 (日) 二番目の月山に巡拝。
湯殿山も目前だが天候が気になる。
7/13 (火) 集中豪雨の中、先の見えないまま湯殿山を巡拝。
出羽三山も終わって一息入れたいが、大雨でどうなることか。
7/14 (水) 新潟、福島の集中豪雨の影響で足止め状態が続く。
出羽三山の巡拝を決行したことにより新潟入りが遅れ、結果的に直接集中豪雨に遭わず命びろいをした。それにしても天災は恐ろしい。
7/16 (金) 相変わらずの悪天候の中、じっとしていられず、注蓮寺、大日寺に参拝。
東北の信仰を感じさせられる。
7/18 (日) 村上市に至る。周囲は道路の寸断や鉄道の不通で大変だが、不思議と歩かせてくれてる。
私もずぶぬれ、彼女もガタガタだが。
~7/21 (水) 村上市に留まる。人力車製作の親方から全面的な協力を得て、部品の到着を待つ。
四日間の(一般的な)普通生活は、5ヶ月余り歩き続けてきた者にとっては別世界である。
切り替えが少しやっかいだ。
7/22 (木) 新潟集中豪雨の被災地に入って手伝いをしようと思ったが、現地は混乱していて思うようにはいかないようだ。
7/24 (土) 新潟を数ヶ寺参拝し、佐渡へ渡る。
佐渡では少し時間をかけて歩きたい。真言宗の古刹、蓮華峯寺を参拝。
7/27 (火) 佐渡から本土に戻る。交通量が多くなると人力車にとって歩きにくい道路となる。
「ストップ・ザ・CO2」をかかげているのだから当たりまえか。
7/30 (金) 富山県魚津市に至る。暑い! 夜は蚊との戦いで眠れない。
平成十六年 2004年 8月
 日 曜 日          修     行
8/02 (月) 氷見市にさしかかったところでとうとう彼女がストライキを起こしてしまった。
この暑さでは無理もないか。またまた手当をしてあげなければ。
8/03 (火) 氷見市、阿尾の海岸でテントを張りR160号添いのデイリーヤマザキさんのお世話で、彼女の部品を待つ。

8/06

(金) 石川県に入り能登一宮の多気大社 日蓮宗 妙成寺、等を巡礼し羽咋に至る。
8/08 (日) 金沢市に入るも、北陸隨一の大都市であり、混乱する恐れがあるので速やかに通り抜けることにする。
8/10 (火) 真言宗の名刹 那谷寺に参詣。
8/11 (水) 曺洞宗の本山 永平寺の門前に彼女(人力車)はしばし佇んでいた。
8/13 (金) 敦賀市を通り、西国巡礼の時に寄った琵琶湖の竹生島に再度参拝する。
8/16 (月) 坂本の天台真盛宗、西教寺を参拝し比叡山に登る。
根本中堂と延暦寺の納経をいただく。
8/22 (日) 台密の総本山、延暦寺を済ませたのでいよいよ弘法大師が真言宗を開かれた
東密の総本山、京都東寺に参拝する準備に入ることとする。
平成十六年 2004年 9月
 日 曜 日          修     行
9/02 (日) 久しぶりの便りになりました。八月下旬は、京都の寺々を回っていました。
相国寺を始めに、真言は無論、天台、禅、浄土と様々な寺を巡って智積院で終え、
九月三日、午後二時、東寺東門に到着。東寺の皆様の暖かい歓迎を受け、
七ヶ月の苦労が吹き飛ぶような、清々しい気分で入らせていただきました。
大玄関で砂原事務長の出迎えを受け感激です。
9/3~9/5はボロボロになった彼女を化粧直ししながら、七ヶ月の巡礼の疲れを、
東寺ですっかりと癒してもらいました。
彼女もとてもこの東寺が気に入ったようで見違えるようにきれいになりました。
9/06 (月) ついに岸好治、出家をし名前も好猛(コウミョウ)と改めました。
師の言葉に従い、同行二人を肌で感じた七ヶ月の結果です。
すなわち、今日六日 東寺御影堂で砂原事務長戒師のもと、東寺の皆様が出仕して下さり得度をしていただきました。その後、東寺食堂で東寺が四国遍路の出発地であることなど、東寺と四国八十八カ所の関わりを話し合い、出立式をしていただき、東寺の皆様の声援を背に、新たな気分で四国へと出発しました。

9/10

(金) 大阪、神戸と巡り 須磨で野宿です。大阪御堂筋で体調をくずしどうなることかと
思いましたが、どうにか立ち直って歩いています。
9/11 (土) 淡路島、八浄寺の岩坪住職には前回の遍路の時から、お世話になりどうしです。
9/21 (火) 四国に入ってからの第一報は第24番、室戸の最御崎寺です。
あっという間に阿波を巡り、土佐に入りました。
9/26 (日) 第34番、種間寺に到着。
平成十六年 2004年 10月
 日 曜 日          修     行
10/01 (金) 足摺岬の第38番金剛福寺に至る。四国最南端、台風の影響をモロに受ける所である。今年は特に四国全体で被害が多い。
10/06 (水) 第41番、龍光寺、伊予に入る。
新居浜の萩生寺の住職と17年ぶりに再会でき、いろいろなお話をうかがう。
第60番、横峰寺は台風の被害特に甚しい。

10/15

(金) 東寺第255世長者、東寺真言宗管長、鷲尾隆輝大僧正の遷化を知り、遠く四国の地から遙拝させていただきました。
10/17 (日) 第65番、三角寺。伊予も最後である。1988年の四国遍路の時、善通寺の管長であられた蓮生大僧正には、テレビ出演などで大変お世話になりました。今回の旅で再会を期待した方で、再度お会いでき感激。昔話に時間のたつのを忘れました。
10/25 (月) 12時半、四国八十八カ所結願。
10/30 (土) 小豆島に着く。小豆島では松林寺、長谷川住職にすっかりお世話になりました。
平成十六年 2004年 11月
 日 曜 日          修     行
11/04 (木) 松林寺を後に小豆島八十八カ所も無事に済ませ島を離れます。
11/17 (水) 山口県岩国に入る。

11/20

(土) 防府市に到着。
11/23 (火) 九州巡拝に先立ち、門司にてしばらく彼女の手当をします。
11/26 (金) 九州に入るやアクシデント発生。雨の中、立往生。救う神あり北九州市戸畑区の
佐藤さん夫妻にお世話になり、彼女のタイヤの全取り替えのため、しばらく滞留。
平成十六年 2004年 12月
 日 曜 日          修     行
12/07 (火) 佐賀県唐津市に至る。唐津城を望みながら、しばし昔を想う。
宗像神社、太宰府、観世音寺 等、歴史の中を歩いてきたせいか。
12/09 (木) 佐世保まで5Kmの地点。近松門左衛門のゆかりの寺、近松寺で一息。
人の心の美しさ、か・・・

12/14

(火) 長崎へ向かう 長崎の街を歩く。浦上天主堂の前でしばしたたずむ。
温かく迎えてくれるお寺も多い、ありがたい。
12/19 (日) 島原を通り熊本へ向かうことにする。
熊本県八代市に至る。自分を捨てることがどういうことか、少し解ったような・・・。
12/24 (金) 鹿児島も近づいた。
12/27 (月) 沖縄に渡る。離島は難しい
12/31 (金) 宮崎を北上する、大分の気候が気になる。
今年の最後の日は延岡の手前、凍てつく山中で一人孤独に送る。
平成十七年 2005年 1月
 日 曜 日          修     行
1/01 (土) 別府にて新年を迎える。
新春早々、凍りつく坂道でアクシデント。前歯一本を折る。
1/03
 ~04
(月) フェリーにて別府→松山→大阪へと向かう。

1/10

(月) 奈良の都に入る。数日来の寒波は覚悟をしていたもののすさまじい。
東大寺、真言院、薬師寺、法隆寺、興福寺等を巡拝。
1/14 (金) 元興寺。歴史の深みを感じさせられ、辻村住職から教えをいろいろと伺う。
元興寺の隣、十輪院にて接待を受け、南部の寺々の巡礼を始める。
帯解寺は、以前西国を巡礼した時以来、再度の参詣でとても懐かしい。

1/21
 ~27

(金) 奈良を離れ三重県島ヶ原の正月堂に参拝、弘法大師の縁日にどうしてもここを訪れたかった。正月堂は東大寺建造の木材を切り出した地でもあり、二月堂、三月堂と同様の御堂でもある。
町村合併により伊賀市となった旧島ヶ原村の西念寺に逗留、お世話になる。
1/31 (月) 室生寺、長谷寺、極楽寺 等を巡る。
平成十七年 2005年 2月
 日 曜 日          修     行
2/02 (水) 大雪の為、24号線沿で足止め。慣れたことだが自然の驚異にはさからえない。
2/05 (土) 弘法大師も跋渉したであろう吉野山を踏破、修験道の根本道場、金峰山寺に詣でる。

2/14

(月) 高野山に登る準備に入る。
2/21 (金) 和歌山市内から一日半で凍てつく高野山に登り切る。
どうしても御大師様の日である二十一日に登りたかった。
2/24 (木) 金剛峯寺にて土生川宗務総長様や内局の出迎えを受け、応接室にて資延管長様と面談。
八百八十八カ所巡礼成満の御礼報告をする。
管長様から巡礼成満の褒賞状と墨書を贈呈される。
2/25 (金) 高野山専修学院にて松長門主様の計らいで院生77名の前で経験談を話す。
院生の修行の少しの足しにでもなればと思う。
松長門主様から、納経帳に「大空遊歩」と貴重な揮毫をいただく。
2/26
 ~27
(土) 高野山内の寺院を巡拝。
高野山では金剛三昧院でお世話になる
2/28 (月) 高野山を下り、熊野へ向かう。
平成十七年 2005年 3月
 日 曜 日          修     行
3/03
 ~05
(木) 世界遺産となった熊野三社(熊野本宮、速玉神社、那智神社)を参拝。
高野山の御礼参りの後もアイスバーンで試練は続く。
3/13 (日) 伊勢神宮(内宮、外宮)の参拝を済ませ帰路となる。

3/20

(日) 三島から箱根に向かう。どうしても明日、小田原に着きたい。
3/21
午後3時
(月) 弘法大師の正御影供の三月二十一日、小田原福田寺に到着。
昨年二月六日に出発する時、東寺護国和讃で送ってくれた
御詠歌隊(大和講飯田岡支部)が高野山一番、三番で迎えてくれる。
一年一ヶ月十五日の巡礼の證である納経帳を本尊薬師如来の御宝前で
住職に一端預ける。しばらく時を待って残りを巡ることにする。
平成十七年 2005年 7月
 日 曜 日          修     行
7/21 (木) 日本霊場八百八十八ヶ所巡礼の総仕上げの旅に出発。
日本一周を成し遂げてから四ヶ月、巡礼の報告をしながら地元のご寺院を巡らしていただきました。最後に関東一円の巡礼に出発。
7/23 (土) 川崎大師、参拝。

7/24

(日) 皇居、靖国神社、池上本門寺、上野寛永寺等を巡礼。
四号線を北上。
7/25 (月) 慣れない旅で足を痛める。
古河で一息入れるが、台風で最悪の状態。
7/27 (水) 日光まで40Km、暑い。
729 (金) 沖縄に渡る。離島は難しい
12/31 (金) 日光東照宮、輪王寺を参拝。
平成十七年 2005年 8月
 日 曜 日          修     行
8/05 (金) 日本霊場八百八十八カ所、最後の巡礼地は長野の善光寺です。
福田寺住職とともに善光寺の本堂内陣に入れていただき、
般若心経一巻、 御宝号を唱え、一年半に亘る巡礼の御礼報告をいたしました。
日本霊場八百八十八カ所巡礼も終わりました。
皆様とともに成満できたものと感謝致しております。
本当に有難うございました。