福田寺は小田原市飯田岡にある真言宗のお寺です。

福田寺
 

 信仰心とは…

 宗教とは何かと問うたとき、信仰心であると答えて良いくらい「宗教」と「信仰」は切っても切れない関係である、というよりも「宗教」即「信仰」といって良いものだと思います。自分にとって宗教心が有るかどうかは信仰心が有るかどうかと置きかえることが出来るでしょう。
日本人は宗教心が乏しいとか自分は無宗教者だとか云いますがそれはそのまま信仰心に乏しいといったり信仰心が無いということと言い換えることが出来ます。
では、信仰心とはいったい何なのでしょうか?。
それは自分自身が全身全霊で委ねることが出来る「何か」を持っているか否かであると思います。「何か」とは。神であったり仏であったり,あるいは太陽であったり自然であったり様々でありますが「聖なるもの」という言い方で言い尽くせるように思えます。
全身全霊で委ねるといったりすると、大げさでとても自分では持っていないと感じる人が大方かも知れませんが、普段は感じていなくても何か窮地に追い込まれたり、運を天に任すと云った場面に出くわしたとき、自分自身の全てを「何か」に委ねるといった心境になることはあるのではないでしょうか
 普段私たちはさほど切羽詰まった生活をしていないと感じているだけで、実のところ一寸先は何があるか知れない人生をそれぞれが歩んでいるのです
言い換えますと私たちは常に死の崖っぷちに立って人生を歩んでいるのです。このことを常に強く感じるならば瞬時瞬時に「聖なるもの」に身を委ねる心境にならざるを得ないのではないでしょうか。
 しかし常にそのような意識を持って生きることは、ただ悲観的な生き方に陥ってしまうようにも思います。
また信仰心というものが困った時の神頼みにとらえられてしまいます。
それでは積極的な生き方からますます遠ざかり一辺倒な他力本願に身を委ねてしまいかねません。
 このジレンマに陥らず、死の崖っぷちに立ちながら積極的に生きて行くにはどうしたら良いのでしょう。
 自分の意志ではどうにもしようが無い自然の摂理といったようなものから生じる現象は、何かに委ねてしまうことです。その上で自分の意志で出来ることを精一杯生きること、それは自分の生き方に責任を持つことであり自分の生き方に自信を持つことが出来る第一歩ではないでしょうか。
この委ねるこころを信心、信仰心といって良いと思います。
信仰心を持つということは、自分の生き方を何かに委ねることでは無く、逆に自分の生き方に自分自身が責任を持つことであり、悔いの無い人生を送るためのものだと思います。(福田寺だより 第40号より)

 


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